意外と知らない!お金の歴史!貨幣の誕生とは

貝

物々交換から物品貨幣へ

太古の人々は、自分のモノと他人のモノとを現物で交換しあって、自分が必要なモノ、欲しいモノを入手していました。
しかし、このような方式の、モノとモノの交換では互いに希望の時期やモノが一致しなかったり、モノの運搬に手間暇がかかったり、交換相手がスムーズに見つからない等の難点がありました。

そこで、誰もが求めるモノ、収集や分配が容易で、誰もが納得する共通の価値の大きさをあらわせるモノ、運搬や保存が容易なモノという条件にマッチする、穀物、砂金等が交換を途中媒介する手段として活用される時代に移行しました。
これらは物品貨幣と呼ばれ、貨幣が生まれるいわば準備段階として使われたのです。
古代中国では、宝貝が使われており、貯金、賄賂、購入、販売などおカネにまつわる漢字に貝の付くものが多い理由はそのためです。
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小さくて運びやすく価値が分かりやすい金属貨幣の誕生

やがて物品貨幣が使われる時代が続いたのち、その中で、金属(特に金、銀、銅)がメインとして広く使用されるようになります。
金属は劣化しにくく保存性に優れる、運搬が容易など、皆で価値が共有しやすく貨幣としてメリットのある性質を有していたために選ばれていったのです。
すでに、紀元前8世紀頃には、古代中国で各種の農具や刃物等を形取った布幣や刀幣が造られ流通していたとされています。

日本における貨幣の歴史

これまで、国内で最初に造られた貨幣は708年に発行された和同開珎と考えられてきましたが、近年の発掘調査の結果、もっと以前に「富本銭」「無文銀銭」などが造られていたことが判明しています。
現在の日本の貨幣のうち、5円硬貨、50円硬貨には丸い孔があけられていますが、古い時代の貨幣には四角い孔が開けられています。
この四角い孔の起源は、紀元前3世紀の秦の始皇帝時代に造幣された「半両銭」にあるとされ数百年と長きにわたり、四角い孔が愛用されてきたことが伺えます。

その1つ目の理由として、当時の中国では、天は円、地は四角と信じられており、真ん中に四角形の孔が開いた円形の銭は、天と地の両方がバランスよく混ざり合う縁起の良いベストな形と考えられた為とされます。
また、2つ目のとして、銭を造幣する時の最後の工程で、真ん中の孔に四角形の棒を差して固定したうえで、銭の側面を磨きあげたためとも伝えられます。

四角い孔が開いた貨幣は、東アジア地で一般的に造られるようになり、日本においては1000年以上の長期間造られてきました。
江戸時代になると、「両」という単位の金貨が造られるようになります。
江戸時代の貨幣価値を現在価値に置き換えるのは困難を伴いますが、1つの目安として文献などに出てくる価値基準から計算すれば、1両は江戸時代の初めでおおむね10万円程度、中期でおおむね5万円程度、末期でおおむね4千円~1万円程度と言われます。